果物

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曖昧さ回避
日本の女性アイドルグループについては「フルーツ (アイドルユニット)」をご覧ください。
佐野元春のアルバムについては「フルーツ (アルバム)」をご覧ください。

樹木になっている状態の果物の一例(リンゴ)

樹木にならないイチゴなどは「果実的野菜」に分類される。
果物(くだもの、英: fruits フルーツ)は、食用になる果実。水菓子[注釈 1]、木菓子ともいう。

英語でfruitと言えば果実全般である(日本語の「果実」よりもさらに広い範囲を指す)。日本語の「果物」は、食用になる果実及び果実的野菜(後述)のうち、強い甘味を有し、調理せずそのまま食することが一般的であるものを「果物」と呼ぶ傾向がある。狭義には樹木になるもののみを指す。農林水産省では、統計上、果実は果樹(木本性などの永年作物)になるものとしつつ、野菜に分類されるもののうちイチゴ、メロン、スイカなど果実的な利用をするものを「果実的野菜」として扱っている[1]。

概説
果物とは、食用になる果実のことである。 果物はさまざまな栄養素を含んでいる。人体に必要な糖分やカリウムやビタミンが豊富なものも多い。→#栄養面や効能

果実を乾燥させ、ドライフルーツとする例も多い。乾燥させた場合、糖分の濃度が高くなり、保存に適する。中東ではデーツ(ナツメヤシの果実を乾燥させたもの)が古くから広く親しまれており、聖書にも登場する。「砂漠の旅で食料が尽きてもデーツの実ひとつぶ食べれば数日生き延びられる」などといわれている。なお乾燥した国では、生のみずみずしい果物は水分の補給源としても重要な役割を果たしている。日本では果物は、糖分補給のため(甘みを楽しむため)や、ビタミン源として摂られてきた歴史がある。

料理に利用したり、パンやクッキーに入れられることもある。その甘みや酸味や香ばしさなどを利用する。種によってはタンパク質分解酵素を含む(パイナップル・パパイヤなど)ため、肉類を柔らかくする効果のために利用される場合もある。砂糖を加えて煮込みジャム(やコンポート類)にして保存している。それをパンやクラッカーに合わせたり、あるいはヨーグルトやチーズなどの乳製品と合わせて朝食時に食べることもある。また午後の「お茶」や「おやつ」の時間に、イギリスでは「午後の紅茶」の場でジャムやコンポート類を味わったり、北欧のお茶の時間「フィーカ」ではさまざまな形で果物を取っている。日本の「おやつ時」などに生の果物を食べたり、あるいはパンにジャムを塗って食べたり、ヨーグルトにジャムを加えたもの食べる、なども広く行われている。

中東で昔から親しまれているデーツ(ナツメヤシの実を乾燥させたもの)
中東で昔から親しまれているデーツ(ナツメヤシの実を乾燥させたもの)

ジャム(果物に砂糖を加えて煮込んだもの)
ジャム(果物に砂糖を加えて煮込んだもの)

果物の中には、糖分だけでなく酵素まで含み、(さほど手間をかけずとも、つぶして放置するだけで)それ自体で発酵し酒となるものもあり、酒の原料としても用いられてきた。代表的なものとしてブドウの実がある。もともと糖分と酵素の両方を含み、潰して放置しておくだけで勝手に発酵して酒(ワイン)になる。ワインは「最も古くから存在する酒」や「最初の酒」と推定されており、地中海周辺やヨーロッパ(の大陸側)で太古から最も飲まれている酒であり、そして欧米諸国(南米、オーストラリアも含む)でも非常に広まっていった。日本でも中世に宣教師が持ち込み、さらに1870年にワイン醸造所が作られそれ以降醸造もはじまり、現在では世界中で飲まれている。リンゴの実の発酵酒(シードル)も同様である。果実から作る酒を(ブドウの実のワインは別格として、それ以外の果物から作る酒を)英: fruit wine(フルーツワイン)と言う。

ワイン農園(シャトー)で、ワイン造りのために栽培されているブドウの樹々
ワイン農園(シャトー)で、ワイン造りのために栽培されているブドウの樹々

赤ワイン用のブドウ品種の実(カベルネ・ソーヴィニヨン)
赤ワイン用のブドウ品種の実(カベルネ・ソーヴィニヨン)

フルーツワインの一例。リンゴの実と果汁から作るシードル(リンゴ酒)
フルーツワインの一例。リンゴの実と果汁から作るシードル(リンゴ酒)

果物は欧州でも日本でも、昔から、贈答品や、入院した人などへのお見舞いの品として利用されることも多い。

熱帯果樹では「三大果物」と呼ばれるのがマンゴー・チェリモヤ・マンゴスチンである。ドリアンは「果物の王」、マンゴスチンは「果物の女王」とも言われる。

食べられる果実がなる樹木を果樹と言う。

日本では古代から中世の時代には果物は菓子の中に包摂されていたが、江戸時代中期に加工品については「菓子」、果実は「水菓子」と記すようになり菓子とは別種のものとして理解されるようになっていった。さらに幕末期の京坂で果実を「クダモノ」と言うようになり果物の名称が成立した[2]。